保健科学東日本の現在までの沿革

豊富な検査項目を支える最新技術をもつ保健科学東日本は、昭和50年6月に設立された有限会社埼玉臨床検査研究所からスタートしました。昭和51年には、株式会社に組織変更され、株式会社埼玉臨床検査研究所となります。この組織変更は経営に対する責任の所在という意味でも、保健科学東日本にとって大きな転機になったといえるでしょう。衛生検査所としては任意登録制度ではあったものの、昭和52年に衛生研究所として埼玉県知事に登録しました。この制度は、昭和55年から義務登録制度に変更となっています。

現在の保健科学東日本でも多くの検査項目をサービスとしていますが、この当時から一般的な検査だけではなく、特殊検査の需要が高まっていました。そこで、特殊検査を主とした株式会社関東医学検査研究所を設立していきます。埼玉の所沢市に構え、放射性同位元素を用いたRI設備をそろえるなど、特殊検査業務を委託できる体制を作り上げます。昭和61年7月には合併して、株式会社関東医学研究所となります。さらに新検査棟が完成したことによって検査機能が集中し、これが現在の保健科学東日本の特徴ともいえる、検査のトータルシステムの構築につながっています。業務の効率化を進め、本社総合研究所も平成20年10月には、ISO15189の認定を取得するまでに成長していきました。

日本国内だけではなく、海外へも活動を広げます。株式の店頭登録を実施しながら、多くの資本を獲得し、平成12年11月にはタイへ活動を広げていきました。バンコクジェネラルホスピタルを中心とした病院のグループと提携し、検査の受託が受けられる検査所をバンコク市内に開く手助けを請け負います。このコンサルティング業務はこれまで培ってきた高い技術と信頼性に裏付けされた活動ともいえるでしょう。株式会社関東医学研究所から株式会社メデカジャパンに社名を変更したのが、平成13年1月です。さらに本社ラボはアメリカの臨床病理医協会であるCAPから認定も受けています。

平成16年6月には株式会社メディカルパートナーズを設立しました。同年12月には株式会社メデカジャパンより臨床検査事業の部門を分社化して株式会社メデカジャパンラボラトリーとしています。翌年には資本金も2億円を超える金額に増資し、平成20年10月には2億6000万円まで増加しました。この年には株式譲渡により、株式会社保健科学研究所の子会社となっています。社名も平成22年に現在の株式会社保健科学東日本となりました。